2017-04

大学版「学習指導要領」を文科省が企む

"When the university turns away from its central purpose and makes itself an appendage to the Government, concerning itself with techniques rather than purposes, with expedients rather than ideas, dispensing conventional orthodoxy rather than new ideas, it is not only failing to meet its responsibilities to its students; it is betraying a public trust."
(Senator J. William Fulbright, 1905 – 1995)

文部科学省が大学版学習指導要領と言うべきものを企んでいることが明らかになった.共同通信の配信と思われる記事が長崎新聞のウェブ版に載っている.
「大学の教育内容に指針 文科省、学部専門分野別に」(01/30 02:07)
  http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CN20080130/ma2008012901000891.shtml

記事の冒頭部分を引用する.

文部科学省は29日までに、大学の学部(学士課程)の教育期間で学生が身に付けるべき知識や技術など教育内容や到達目標を示した指針を、各専門分野ごとに策定する方針を固めた。


教育「内容」とはっきり書かれており,国家が大学教育の内容に干渉することを明言したものとして,戦後はもちろんだが,もしかすると明治以来でも初めてのことかも知れない.言うまでもなく,憲法23条への真っ向からの挑戦である.

憲法第23条 学問の自由は、これを保障する。

ところが,この記事を書いた記者にもそのような重大性の認識はないようだ.記事の終わりの方で,「・・・国が一定の方向性を示せば、一連の大学改革で大きな転機になりそうだ」などと,いわば「冷静な」評価をしているからだ.このようなとらえ方が読者にことさら違和感を持って受け止められることもないと予定されている.実際そうなのだろう.「学問の自由」や「大学の自治」という言葉が恐ろしく摩耗してしまっている.しかしこれは大学だけの問題だろうか?(冒頭の引用でフルブライト上院議員は“it is betraying a public trust”と述べている.)

このような文部科学省の動きは,国立大学の独立行政法人化(独法化)によって予想されたことだ.独法化問題が浮上して以来私は,将来,教科書検定や学習指導要領という悪夢に見舞われるだろうと予測したが (註1, 2) ,残念ながらこれがわずか数年で当たってしまった.

「文科省は指針に強制力や拘束力はないとしている」と記事にあるように,もちろん小中高のように法規で縛るという剥き出しのやり方は取らない.「大学評価」という形で実質的な強制をしてくる.より陰湿で悪質である.

どういうことかと言うと,独法化により,国立大学の予算権限が国会から文部科学省に移ったのである.各大学の予算額の決定プロセスが全く不透明になり,文部科学省の中に設けられた「国立大学法人評価委員会」(国立大学法人法第9条)の評価次第で左右される.このため,各大学は,その立ち居振る舞いの全てを文部科学省の「顔色をうかがって」やるようになっているのが現状だ.

現在,国立大学では,何か学内で会議があるたびに「評価」という言葉を頻繁に聞かされる.すべては評価のため,である.

もちろん独法化以前でも,国立大学の文部科学省への追従姿勢はひどいものだった.しかし今は,予算の権限をあからさまに文部科学省に握られたことによって,この追従が公然化,制度化されてしまったのだ.わかりやすく言えば,「金日成総合大学」(排外主義と言われようと・・・)になってしまっている.何事も「わが大学のイキノコリのためにはシカタガナイ」とされる.

記事によれば,日本学術会議がこのための道具にされようとしている.したがって学術会議に「ノー」と言わせる活動が当面重要だ.

しかし,すでに「評価」で洗脳されかけている大学人には,「やむを得ない」とか,「当然のこと」という“ナイーブな”(註3)反応をする向きが多いのではないかと心配する.文部科学省の「顔色をうかがう」ことが習慣化した大学教員や教授会にどれほどの抵抗ができるか,きわめて悲観的だ.

大学には,権力や「右」からの圧力はさかんに及ぼされるが,欠けているのは民衆や「左」からの圧力だ.独法化問題の時にはブログはなかったが,今は違う.批判精神を無くした大学と大学人に大して国民的な,人民的な視線が注がれ,批判がなされれば,大学人も少しは正気を取り戻すと思う.「他力本願」(この宗教用語本来の意味とは違うが)のようだがやむを得ない.国立大学はそこまで堕ちているということだ.もちろん私自身は教授会で努力するつもりだ.これがまかり通れば,次には「教科書検定」が待っている.

-----------------
(註1) 「国立大学行法化 -- なぜ敗北したか,どう巻き返すか」
 (「多分野連携シンポジウム 大学界の真の改革を求めて」での私の報告)
 2003年9月27日,東大本郷 山上会館
 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet/sympo030927/toyoshima.html
 「その先には『教科書検定,学習指導要領』という悪夢がある」

(註2)「 政府が実施を急ぐ独立法人化 大学の“独立”は逆に失われる恐れ」
 「週刊金曜日」2002年4月19日号,45~47ページ
 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/kinyoubi020419.html
 「『中期目標』として挙げられている項目は抽象的であり、大学に
  まで『教科書検定』や『学習指導要領』が押しつけられても不思
  議ではない。」
(註3) 日本語でなく英語での意味.

国立大学独法化問題については,「全国ネット」のページをご覧下さい.
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet.html

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