260年前になぜ6万人もの農民が集まれたのか

藩の時代は、権力が見えるところにあり、お城は何とか歩いてでも行ける距離にあった。農民の間でのニュースの共有も、狭い地域社会なので「口コミ」で十分可能だっただろう。しかし我々の住む世界では、権力は遥か遠くにあり、権力者も直接目にすることはできない。テレビの画像の中だけのバーチャルな存在である。ニュースもテレビや新聞というマスメディアによって独占されている。
このように、支配している権力を実感できるかできないか、対する仲間たちの言葉や活動の情報を共有できるかできないかで、大きな違いがある。今日、たとえ大規模な集会で抗議の声を挙げても、メディアに無視されればその存在は消し去られる。
このように考えれば、今日、権力に実際に対抗するとはどういうことかがわかるだろう。抗議の行動はメディアで「必ず」伝えられるようにしなければならない。ひと気の少ない、東京の田舎に等しい臨海広域防災公園で集会するなど(今年の憲法集会)、これとは正反対のやり方だ。(関連記事参照)
ネット上では、安倍政権が続くのは「国民が愚かだからだ」と、国民全体を責める言葉がよく見られる。しかしそのような「評価」をしてみたところで何の役にも立たない。運動圏の人々は、あるいは「目覚めた」人々は、どうすれば効果的な活動になるか知恵を働かせるべきで、むしろそれを見つけ出せていない自分たちを責めるべきだろう。
選挙戦も(共闘や候補一本化、そして票読みなど)選挙に集中するだけでは勝てないだろう。何が問題か、政治で何ができるのかを人々に分からせ、そして自分たちには力があるということを実感させなければならない。そのための重要な戦術形態の一つが、このブログで繰り返し主張する非暴力直接行動、NVDAである。
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* 「久留米市史」第2巻(久留米市発行、1982年)
関連記事: https://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2019-03-25#revolt
九大ファントム墜落51年集会でのスピーチ

やや左翼系敬老会の様相も示していましたが、150名の参加で盛会でした。今日の毎日が写真入りで報道していました。わずか一人とは言え学生の参加があったことが希望です。それもチラシを見て来たとのこと。
「数学による平和教育」のプリントを手に取った女性の参加者が、「こんなの、珍しいですね」と言ってくれました。(写真は榊山惇さんのフェスブックから拝借)同じくこちらの記事には全体の様子が詳細に書かれています。


県警は誰が支配するのか?/県警をめぐる支配・被支配と人事権の関係図
それでは、まず
レジュメ、
そして
スピーチ原稿です。
(冒頭謝辞)
辺野古、高江にはつごう3回行きました。「ゴボウ抜かれ」の経験もあります(例:機動隊員との対話)。人数が多かった時は(ダンプを)止められました。もっとたくさんの人が行くべきだと思います。
さて、北方領土に関して、「戦争で島を取り戻す」という恐るべき発言が国会議員の口から出たことが大きな話題になっています。議員辞職に値するでしょう。しかし、同じことが政府の省庁から、つまり防衛省から出ているのに反応が少ないのは驚くべきことです。例えば、2017年に、佐賀空港オスプレイ配備問題での地権者説明会で防衛省が配布した資料には、占領された島を自衛隊が「奪還」する作戦図絵が公然と記載されています。占領されたのが何十年も前ならダメで、数日、数ヶ月前ならオーケーということでしょうか?しかも自衛隊の場合、「言葉」だけでなく、その練習=演習までやっているのです。