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2008-01

大学版「学習指導要領」を文科省が企む

"When the university turns away from its central purpose and makes itself an appendage to the Government, concerning itself with techniques rather than purposes, with expedients rather than ideas, dispensing conventional orthodoxy rather than new ideas, it is not only failing to meet its responsibilities to its students; it is betraying a public trust."
(Senator J. William Fulbright, 1905 – 1995)

文部科学省が大学版学習指導要領と言うべきものを企んでいることが明らかになった.共同通信の配信と思われる記事が長崎新聞のウェブ版に載っている.
「大学の教育内容に指針 文科省、学部専門分野別に」(01/30 02:07)
  http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CN20080130/ma2008012901000891.shtml

記事の冒頭部分を引用する.

文部科学省は29日までに、大学の学部(学士課程)の教育期間で学生が身に付けるべき知識や技術など教育内容や到達目標を示した指針を、各専門分野ごとに策定する方針を固めた。


教育「内容」とはっきり書かれており,国家が大学教育の内容に干渉することを明言したものとして,戦後はもちろんだが,もしかすると明治以来でも初めてのことかも知れない.言うまでもなく,憲法23条への真っ向からの挑戦である.

憲法第23条 学問の自由は、これを保障する。

ところが,この記事を書いた記者にもそのような重大性の認識はないようだ.記事の終わりの方で,「・・・国が一定の方向性を示せば、一連の大学改革で大きな転機になりそうだ」などと,いわば「冷静な」評価をしているからだ.このようなとらえ方が読者にことさら違和感を持って受け止められることもないと予定されている.実際そうなのだろう.「学問の自由」や「大学の自治」という言葉が恐ろしく摩耗してしまっている.しかしこれは大学だけの問題だろうか?(冒頭の引用でフルブライト上院議員は“it is betraying a public trust”と述べている.)

このような文部科学省の動きは,国立大学の独立行政法人化(独法化)によって予想されたことだ.独法化問題が浮上して以来私は,将来,教科書検定や学習指導要領という悪夢に見舞われるだろうと予測したが (註1, 2) ,残念ながらこれがわずか数年で当たってしまった.

「文科省は指針に強制力や拘束力はないとしている」と記事にあるように,もちろん小中高のように法規で縛るという剥き出しのやり方は取らない.「大学評価」という形で実質的な強制をしてくる.より陰湿で悪質である.

どういうことかと言うと,独法化により,国立大学の予算権限が国会から文部科学省に移ったのである.各大学の予算額の決定プロセスが全く不透明になり,文部科学省の中に設けられた「国立大学法人評価委員会」(国立大学法人法第9条)の評価次第で左右される.このため,各大学は,その立ち居振る舞いの全てを文部科学省の「顔色をうかがって」やるようになっているのが現状だ.

現在,国立大学では,何か学内で会議があるたびに「評価」という言葉を頻繁に聞かされる.すべては評価のため,である.

もちろん独法化以前でも,国立大学の文部科学省への追従姿勢はひどいものだった.しかし今は,予算の権限をあからさまに文部科学省に握られたことによって,この追従が公然化,制度化されてしまったのだ.わかりやすく言えば,「金日成総合大学」(排外主義と言われようと・・・)になってしまっている.何事も「わが大学のイキノコリのためにはシカタガナイ」とされる.

記事によれば,日本学術会議がこのための道具にされようとしている.したがって学術会議に「ノー」と言わせる活動が当面重要だ.

しかし,すでに「評価」で洗脳されかけている大学人には,「やむを得ない」とか,「当然のこと」という“ナイーブな”(註3)反応をする向きが多いのではないかと心配する.文部科学省の「顔色をうかがう」ことが習慣化した大学教員や教授会にどれほどの抵抗ができるか,きわめて悲観的だ.

大学には,権力や「右」からの圧力はさかんに及ぼされるが,欠けているのは民衆や「左」からの圧力だ.独法化問題の時にはブログはなかったが,今は違う.批判精神を無くした大学と大学人に大して国民的な,人民的な視線が注がれ,批判がなされれば,大学人も少しは正気を取り戻すと思う.「他力本願」(この宗教用語本来の意味とは違うが)のようだがやむを得ない.国立大学はそこまで堕ちているということだ.もちろん私自身は教授会で努力するつもりだ.これがまかり通れば,次には「教科書検定」が待っている.

-----------------
(註1) 「国立大学行法化 -- なぜ敗北したか,どう巻き返すか」
 (「多分野連携シンポジウム 大学界の真の改革を求めて」での私の報告)
 2003年9月27日,東大本郷 山上会館
 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet/sympo030927/toyoshima.html
 「その先には『教科書検定,学習指導要領』という悪夢がある」

(註2)「 政府が実施を急ぐ独立法人化 大学の“独立”は逆に失われる恐れ」
 「週刊金曜日」2002年4月19日号,45~47ページ
 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/kinyoubi020419.html
 「『中期目標』として挙げられている項目は抽象的であり、大学に
  まで『教科書検定』や『学習指導要領』が押しつけられても不思
  議ではない。」
(註3) 日本語でなく英語での意味.

国立大学独法化問題については,「全国ネット」のページをご覧下さい.
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/znet.html

「死者冤罪のおそれ」--オーマイニュース・社会のトップ項目に

オーマイニュースの「社会」のトップ項目に,ブロガー送信の記事が出ています.

物証を示さないまま犯人断定---佐世保の散弾銃殺人事件
死者冤罪のおそれ、ありませんか
http://www.ohmynews.co.jp/news/c/120
全文
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080123/20039
(新しい記事が入ってきて,24日17時15分現在,3番目に繰り下がりました.)

佐世保の散弾銃殺人事件--必要な市民的監視とメディアへの要請

佐世保の散弾銃殺人事件における警察の情報隠蔽
 --必要な市民的監視とメディアへの要請--

(いくつかのメルマガへの投稿をほぼそのまま転載します.)

  日本国憲法12条: この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
  国民の不断の努力によっ て、これを保持しなければならない。

一般の刑事事件はふつう市民運動の対象にはならないでしょうが,政治的な謀略の疑いや,警察による人権侵害の疑いが大きい場合は,幅広く市民的関心が向けられてしかるべきだと思います.昨年12月14日に起きた佐世保の散弾銃殺人事件はまさにこれに当てはまると思われます.

この事件ではすでに長崎県警は事件を馬込容疑者の単独犯行と断定しています.ところが警察はそれに必要な基本的な情報や根拠を示していないことが確認されています.

筆者が先週金曜(1月18日)に長崎県警に直接電話で問い合わせたところ,
(1)容疑者の医学的な死亡推定時刻,
(2)容疑者の司法解剖実施の有無,
(3)容疑者の体や着衣などからの硝煙反応検査の結果
のいずれについても,「発表していない」と言う回答でした.1と2は容疑者が「自殺した」とされていることを検証する上で,また3は容疑者が犯人かどうかを判定する上で決定的に重要な「物証」と思われます.つまり物証なしで「自殺」や犯人の断定を行ったことが明白になりました.

冒頭に書きました,「幅広く市民的関心が向けられてしかるべき」理由は以上から簡単かつ明白です.このように所轄の長崎県警による情報隠蔽が明白なため,万人の共感を得ながら,警察のアカウンタビリティーのなさを暴くまたとない機会となっているのです.また,これを追及できないメディアのありかたを鋭く問うことができる,まれなチャンスでもあります.もちろん,県警の情報隠蔽を追及することは,事件の真相を究明する上でも大きな助けにもなると思います.

逆に,これほど明々白々たる情報隠蔽がまかり通ってしまうなら,私たちの社会にとって重大な禍根を残すことになるでしょう.

この件について,拙ブログで継続的に取り上げていますが,残念ながらリベラル・左派系の有力・有名ブログが大きく取り上げるまでにはなっていません(保守系,右派系ブログもよろしくお願いします).また,いくつかのメールリストに問題提起しましたが,ほとんど反応がありません.

ブログやウェブサイトを開いておられる方は,警察の情報隠蔽の問題をぜひ取り上げていただけないでしょうか.また,メディアや,長崎県警本部あるいは佐世保署に問い合わせをしたりすることは,真相究明の助けになると思います.

容疑者は亡くなっているため反論できませんし,死者には弁護士もつかないでしょう.法廷で事実が究明されることが期待できないので,市民的関心と注視が重要ではないでしょうか.

詳しくは,拙ブログの記事をご覧頂ければ幸いです.
最新のものは次です.
佐世保乱射事件フォローアップ(4) ーー 県警の情報隠蔽を確認
http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2008-01-18

佐世保での散弾銃殺人事件,再度メールリストに投稿

市民運動系の二つのメールリストに再度投稿しました.(一部字句修正あり)
 前回の投稿内容はこちら

昨年12月23日の投稿で,「警察を,国家権力の道具からその本来あるべき姿,つまり市民の安全に奉仕する組織にできるだけ近づけることは,市民や市民運動の重要なテーマ」だという観点から,佐世保の散弾銃殺人事件を取り上げました.そして,この件では警察やメディアの態度の異常さが“具体的に”明白なため,これらを「非常に追及しやすくなってい」ると述べました.

つまり,事件の真相究明もさることながら(これは一般的な市民運動の守備範囲外),警察にアカウンタビリティーを身に付けさせる活動において非常に貴重な機会が提供されているということです.同時にマスコミのいい加減さを追及する絶好の材料でもあります.

前の投稿では,容疑者をほぼ犯人と断定しているにもかかわらず,警察はその具体的証拠を何ら示していないということを,マスコミで確認したことをお知らせしました.このほど,この点を長崎県警に電話で直接確認しましたのでお知らせします.それによりますと,
(1)容疑者の正確な身長
(2)容疑者の医学的な死亡推定時刻
(3)容疑者の司法解剖実施の有無
(4)容疑者の体や着衣などからの硝煙反応検査の結果
のいずれについても,「発表していない」と言うのです.

すでに県警は事件を馬込容疑者の単独犯行と断定しているのに(2007年12月29日長崎新聞*),それに必要な基礎的情報,根拠を示さないというのでは,とうてい近代的な警察とは言えません.警察だけでなく,メディアまでもが犯人と断定した報道を行っています.これでは,最終的な県警の記者会見においても,排他的に出席の権利を独占する「記者クラブ」メディアがこれらの問題点を追及できるかどうか,非常におぼつかないと思われます.

前の投稿で書きましたように,さらにこの事件では,法廷で事実が検証される機会もないでしょう.ですからなおさら,市民一人ひとりや,市民運動,そしてメールリストやブログなどネットの役割が大きいと思います.なによりも,このような状態では犠牲者の方々がうかばれないでしょう.

拙ブログにこの問題でいくつも記事を書いています.県警との電話でのやりとりも再現しています.どうぞご覧下さい.
「佐世保乱射事件フォローアップ(4) ーー 県警の情報隠蔽を確認」
http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2008-01-18

  憲法12条
  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の
  努力によっ て、これを保持しなければならない。

* 2007年12月29日長崎新聞
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/saseboransya/kiji/59.html

長崎県警のホームページ
http://www.police.pref.nagasaki.jp/

佐世保乱射事件フォローアップ(4) ーー 県警の情報隠蔽を確認

今回の要点:長崎県警に電話で取材し,容疑者の身長の詳細,死亡推定時刻,硝煙反応検査結果が未発表であることを確認


昨日夕方に長崎県警に電話したところ,時間内(9時~5時)でないと担当者が回答できないというので,今日は(自分の勤務時間中ながら)昼前に電話をし,数分間の「取材」をしました.その結果,容疑者の身長の詳細,死亡推定時刻,硝煙反応結果が未発表であることを確認しました.以下,電話でのやりとりを再現します.録音したわけではないので,「言えない」と「発表していない」の場所は違うかも知れませんが,内容自体は正確です.

ブロガー:マスコミ報道で分からないことが多いので直接お尋ねします.答えていただけますか?
県警:  はい,でもマスコミで発表した以上のことはお話しできません.
ブロガー:新聞などで見逃したこともあるかも知れないのでよろしく.まず,馬込容疑者の身長は?
県警:  180センチ(ぐらい?)です.
ブロガー:もっと詳しく,センチ単位までは?
県警:  それは言えません.
ブロガー:容疑者の死亡推定時刻は? 医学的な.
県警:  発表していません.
ブロガー:司法解剖はどこでされたのですか?また,そもそも司法解剖はなされたのですか?
県警:  それも言えません.
ブロガー:容疑者の着衣やヘルメット,それに体からの硝煙反応はどうなっていますか?
県警:  発表していません.
ブロガー:事件現場での目撃証言にあるフルフェースのヘルメットは見つかったのですか?
県警:  はい.
ブロガー:容疑者の車の中でですか?
県警:  いや,死体のそばです.

ブロガー:今後の記者会見の予定はどうなってますか?
県警:  レクチャーは随時やっています.
ブロガー:記者会見には一般の人間も参加できますか?
県警:  いえ,記者クラブに加盟しているところだけです.

以上より,容疑者の死亡推定時刻だけでなく,司法解剖をしたかどうかさえ全く発表していないことが確定しました.硝煙反応についても同様です.このような警察の態度は,説明責任を果たしていないというレベルを通り越して,むしろ「隠蔽」と言うべきものではないでしょうか.そしてこの県警の態度が公知の「事実」であることが確認されました.

メディアに関して言えば,こんな状況で犯人断定報道がまかり通っていいのでしょうか?この件では,容疑者はもはや反論することさえできず,また法廷で事実が検証されることもないのです.

県警とのやりとりの最後にあるように,会見場で質問できるチャンスがあるのは記者クラブ加盟社に限られています.このこと自体の合法性に重大な疑義がありますが,これに出席できるメディアは特権的な地位にあり,従ってそれだけ責任が重いと言えます.上記の基本的な事実についての確認を迫ることが出来なければ,ジャーナリズムには程遠く,小中学生の新聞部と比べるべき存在と言うべきでしょう.(小中学生に失礼な言い方かも知れませんが.)


佐世保乱射事件フォローアップ(3)

今回の要点:
長崎新聞と,長崎県警佐世保署に電話しました.重要な基礎的事実について「把握していない」,「言えない」の答え.

----------------
事件から1ヶ月,また現場となったスポーツクラブが営業を再開するなど,久しぶりにこの話題がメディアに出てきました.しかし重要な基礎的事実は依然として伏せられたままです.そこで今日(1月15日)の夕方,長崎新聞と佐世保署に電話で聞いてみました.

質問したのは次の3点です.
1)容疑者の実際の身長はいくらか
2)容疑者の死亡推定時刻
3)容疑者の着衣,体からの硝煙反応

長崎新聞の答えはいずれも「把握していない」でした.死亡推定時刻については,「教会の方からの5時45分ころの発砲音から,その時刻ではないか」などと言われる始末.「司法解剖などによって確認された時刻は?」と聞くと,やはり知らないとのことでした.

そこで佐世保署に電話してみました.担当の部署に回され,「新聞等に出ている以外は話せない」というので,「出ていても見逃しているかも知れないので」と言って,上記の3点を聞きました.その答えがいずれも「答えられない」というのでした.こんなことってあるのでしょうか.

それ以外の馬込容疑者に関する周辺的な情報は,携帯メールの文章に至るまで,数多く出しているのだから,今さらプライバシーなど理由にならないでしょう.実際,答えられない理由も示されませんでした.

真犯人が別にいるのならもちろん重大ですが,仮に警察発表のとおり馬込容疑者が犯人だとしても,このままでは警察にとっても,メディアにとっても,したがってこの社会そのものにとっても,重大な禍根を残すでしょう.警察のアカウンタビリティー無視,それを追及できない,警察発表だけを垂れ流すメディアという「実績」が残ってしまうからです.

かくなる上は,この問題ではブロガーの社会的使命の比重が増大したと言うべきでしょう.「馬込容疑者x硝煙反応」でグーグル検索をかけると,出てくるのは残念ながら当ブログや,当ブログのトラックバックがほとんどです.JUNSKYさんが今日の記事で取り上げてくれましたが,もっと多くのブロガーに期待したいと思います.是非メディアに逆取材や励ましをし,また,警察にも取材をかけましょう.

佐世保署
http://www.police.pref.nagasaki.jp/keisatusyo/16sasebo/sasebo.htm
長崎県警
http://www.police.pref.nagasaki.jp/default.htm
長崎新聞社
http://www.nagasaki-np.co.jp/index.shtml

以下,この件をフォローしている数少ないブログから:
佐世保乱射から1カ月 ずれる証言、真相なお闇の中
素直に見る世の中。
佐世保での乱射事件に関する「闇の声」氏の書き込み

「再可決」阻止のファクス,メールを

新聞の見出しには,「新特措法」が再可決と,決まったように書いているが,これは何よりも国民に暗示をかけて国政への積極的参加を阻むという意味で,メディアの公正さという原理に全く反するものだ.与党からわずかな数の「造反」が出れば阻止できるはずだ.昨年三月のイギリスの例では,与野党を通じての党議拘束にもかかわらず大量の造反が出た.
http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2007-03-15

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はたして、911 は本当にテロだったのか。ZERO は、原版(イタリア語)の制作(2007年)以来、ローマ国際映画祭(2007年10月)、ブリュッセルEU議会場(2008年 2月)、ロシア国営放送(2008年9月)で上映された、対テロ戦争の原点を鋭くえぐる長編ドキュメンタリー。

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